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~ブエノスアイレスと東京を結ぶ、新たなシーンへ~

PROFILE

12月10日(土)
名東文化小劇場
スペシャルゲスト
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Roberto Sugiura
ロベルト・杉浦

 

1990年、日本でタンゴ歌手としてデビューする。

1993年、アルゼンチンに渡り、現地の各ミュージシャン らとライブ、ラジオなどで共演して各地で共演する中、アルゼンチンでも歌唱の実力が大評判となり、タンゴ歌手の大御所、 ロベルト・ルフィーノに認められ、彼の「ロベルト」の名を正式に与えられる。

1997年、バンドネオン奏者にネストル・マルコーニ、バイオリン奏者には アストル・ピアソラと共に活動を続けてきたアントニオ・アグリらを迎え、 タンゴのCD「ロベルト・杉浦/レメンブランザ」をリリース。

1998年、キューバでの「ボレロ国際フェステイバル」に出演しマスコミや国民を熱狂させたことを機に、プエルト・リコに住みながら、コロンビア、エクアドル、ベネズエラ などで主催されたボレロフェステバルや、数々のソロコンサートで熱唱し喝采を受けて、 各国のテレビ、ラジオに出演。共演者にはアルマンド・マンサネーロやアルベルト・コルテス、オマーラ・ポルトゥオンドなど南米各国で多数。

2000年、マイアミの大手エージェントと契約。 アメリカUNIVICION局のスペイン語圏の人々、約一億人が見ている超人気番組「SABADO GIGANTE(サバド・ヒガンテ) 」(世界長寿番組として、ギネスにも登録されている番組)にレギュラー出演をして、確かな歌唱力、 そしてこの番組の顔であるドン・フランシスコとのコミカルな司会、及び数々のコントにおける演技力により、 アメリカ及び全ラテンアメリカ諸国の視聴者に大ブレークを引き起こし、2001年、「SABABO GIGANTE」の主役でもあるドン・フランシスコにテレビでの好演が認められ、「サバド・ヒガンテ賞」を受賞。

2004年、アルゼンチンにて、オスバルド・プグルエーセ楽団の最期の15年間をコントラバス奏者として 過ごしたアミルカル・トローサ率いるコロール・タンゴ楽団と4回共演は絶賛を得て、このときのライブ録音が後の2006年、 「Color Tango Tolosa-Roberto Sugiura/Buenos Aires-Tokio」としてアルゼンチンにてリリースされる。その共演コンサートを聴きに来ていた、タンゴ界の天才ピアニストであるオラシオ・サルガンに、「ロベルト・杉浦はアルゼンチンタンゴの歌の表現を知り尽くした、ただの演奏家ではなく、相手の心に感動を与えることが出来る運の良い希少な本物のアーティストでである」と絶賛される。

日本帰国後の2010年6月、ビクターエンターテイメントより、「ダメウンベソ」(阿木燿子作詞/アンドレス・デ・レオン作曲) をリリースし、日本でメジャーデビューを果たす。

2018年から2019年、アルゼンチンとコロンビアに滞在しながら数多くのコンサートやライブ、タンゴフェスティバルなどに出演して円熟した日本のタンゴ歌手として絶賛を得る。

2020年からは世界中がコロナ禍における中、31年間に渡り日本を除く世界中のスペイン語圏における活躍を通して出会った音楽家達及び各音楽業界やテレビ業界、そして世界のファン達との再会が結集し再評価がなされる中、バーチャル空間でのテレビ出演、ラジオ出演、各タンゴフェスティバル出演に多忙な日々を送っている。出演した国々は、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、アメリカ合衆国、カナダ、コロンビア、オーストラリア、スペイン、メキシコ、プエルト・リコなど。その間半生の業績が評価されてアルゼンチンからは"Estrella Argentina"(アルゼンチンの星)の初の日本人タンゴ歌手としての賞状を2020から2022年に渡り3回授与された。同時に長年のタンゴ歌手としての実績が評価され、アメリカのハリウッドやオーストラリアからも表彰状が授与された。現在、今年以降の歌手としての海外での出演オファーも殺到している。

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